もりうちはぶ
森内さんと羽生さんは、幼馴染だ。小学生の頃、夏休みのこども将棋大会で出会ったことは多くの将棋ファンがご存知だろう。
自分は、「森内君も連れてきていいですか?」の話がとても好きだ。
今年2月の朝日杯決勝を間近で見ていて、決して口に出さない、態度に表さないけど、確かに二人の間には「オレとオマエ」感、いや、ちょっと違うな、「ボクとキミ」感があると思ったね。
先日の順位戦で二人が対局した時、ちょっと整理してみた。
【森内さんと羽生さんの名人戦・順位戦の比較】
森内さん 羽生さん
順位戦初参加 :第47期(1988年度) 第45期(1986年度)
順位戦通算成績 :139勝50敗(0.735) 159勝44敗(0.783)
A級入り :第54期(1996年) 第52期(1994年)
7勝2敗で挑戦権獲得 7勝2敗で挑戦権獲得
1勝4敗で羽生名人に敗退 4勝2敗で米長名人から奪取
名人初獲得 :第60期(2002年) 第52期(1994年)
名人戦七番勝負登場:12回 16回
名人獲得 :8期 9期
永世名人資格獲得 :十八世名人 十九世名人
第65期(2007年) 第66期(2008年)
vs郷田九段 vs森内名人
羽生さんは森内さんより順位戦初参加が2年早く、A級昇級も2年早い。両者ともA級に上がるのに7年を要したが、最短でも5年かかるわけだから、これは早い方だよね。
問題はその後。名人初獲得は2年差ではなく、8年の差がついた。にもかかわらず、永世名人は、森内さんの方が一足早く資格を得たんだよ。
ええ?どうなってたの、羽生さん?
実は、初獲得から3期連続名人だった羽生さんだったが、第55期に失冠後、パタリと名人戦に登場してないのだ。再び名人戦に登場したのは、森内さんが名人を獲得した翌年の初防衛戦からだ。もーこれは、相手が森内さんじゃないと燃えないのか?とさえ思える。
【1994年以降の名人戦登場者】
名人獲得者/対戦者
1994年第52期 羽生奪取/米長失冠
1995年第53期 羽生防衛/森下挑戦敗退
1996年第54期 羽生防衛/森内挑戦敗退①
1997年第55期 谷川奪取/羽生失冠①
1998年第56期 佐藤奪取/谷川失冠---------↓羽生さんは
1999年第57期 佐藤防衛/谷川挑戦敗退 この5年間
2000年第58期 丸山奪取/佐藤失冠 挑戦さえ
2001年第59期 丸山防衛/谷川挑戦敗退 できなかった(>_<)
2002年第60期 森内奪取/丸山失冠---------↑
2003年第61期 羽生奪取/森内失冠①-------↓
2004年第62期 森内奪取/羽生失冠②
2005年第63期 森内防衛/羽生挑戦敗退①
2006年第64期 森内防衛/谷川挑戦敗退★
2007年第65期 森内防衛/郷田挑戦敗退★
2008年第66期 羽生奪取/森内失冠② この間の
2009年第67期 羽生防衛/郷田挑戦敗退★ 名人戦には
2010年第68期 羽生防衛/三浦挑戦敗退★ 羽生名人か森内名人の
2011年第69期 森内奪取/羽生失冠③ いずれかが登場!
2012年第70期 森内防衛/羽生挑戦敗退②
2013年第71期 森内防衛/羽生挑戦敗退③
2014年第72期 羽生奪取/森内失冠③
2015年第73期 羽生防衛/行方挑戦敗退★
2016年第74期 佐藤奪取★/羽生失冠④-----↑
森内さんが2002年第60期に初獲得した後、第61期から第74期までの14年間、羽生さんか森内さんのどちらかが名人として七番勝負に出ていた。
この間に限ると、両者以外が挑戦者になったのは、谷川さん1回、郷田さん2回、三浦さん1回、行方さん1回、天彦さん1回(奪取!)の合計6回(★印)。
あとの8回は「もりうちはぶ」。
「もりうちはぶ」の名人戦は、1996年も加えると9回になる。はぁースゴイ。
長い棋士生活で、羽生さんは4回、森内さんは3回、名人を失冠している。ま、似たようなカンジ?
いや、ちょっと違うかも。
挑戦して敗退したのは、羽生さんが3回なのに対して、森内さんは、A級1期目で羽生名人に挑戦した際の1回だけ。それ以降は、失冠しても挑戦すれば必ず奪取するし、一度獲得すると連続して防衛してしまう。だから、初獲得が遅い森内さんの方が先に永世名人の資格を取得しちゃったわけだ。ウティ強いですなぁ〜(´・Д・)」
以上は、ここ10数年の名人戦に限ったハナシで、もちろん、他にも強い棋士がいるのだ。でも、「もりうちはぶ」の名人戦を観たいなぁ。
そういえば、2014年の名人戦を観た記憶がない。アレ、どうしてだろ?羽生さんを応援し始めたばかりの頃で、時間をやりくりしてニコ生観戦するとか、応援スタイルが確立してなかったのか?